キラリと光るキラっ人さん

キラっ人さん紹介

お菓子も人にも「愛」を込めて 老舗和菓子店を次世代につなぐ

  • 平栗 洋子さん(有限会社丹波家柿羊羹本舗)
  • ひらくりようこ
  • 代表取締役常務

 昭和38年(1963年)二本松市生まれ。10歳で郡山市に転居、福島県立安積女子高校卒業後、大妻女子大学短期大学部国文科に進学。明治生命本社に入社。その後郡山市に戻り家業に就いた。以来30年家業を継ぎ、おいしさと豊かな季節感を届けている。二人の娘が成人した現在は、福島県女性経営者プラザ(FJP)などに参加し、見識を広めている。

伝統を守りつつ新しいお菓子を

 当店は寛永20年(1643年)創業。屋号の「丹波屋」はその頃から受け継がれています。社名にもある「柿羊羹」は、あんぽ柿で作る明治時代からの名物で、渋味を抜きまろやかに仕上げる製法は独自のものです。50年ほど前、郡山駅前の丸光百貨店(現在は閉店)に出店するのをきっかけに、先代から郡山市に拠点を移しました。昭和の終わりには、郡山市で初めて売り出した「いちご大福」が大ヒットし、毎日忙しく働く父母を見て私も店で働き始めました。
 現在も伝統を守りながらも、新たな味の追求とお客さまのニーズに応える商品作りに取り組んでいます。この春には大学を終え、和菓子の専門学校を卒業した長女が入社することになりました。

小規模な企業だからこそ協力しあって

 当店で働く人の大半は女性です。それぞれに出産や子育てなどで仕事との両立が難しくなる時期がありますが、やむをえず退職することになったとしても、その後に状況が変わり、本人の希望があれば「復職」を受け入れています。例え1年や2年のブランクがあっても、以前働いていたスキルは充分に活かすことができます。
 また、子どもが小さいうちは保育園や地域の行事に参加できるようシフトを組み、親の介護で急に休まなければならなくなった場合には、他の従業員同士で協力しあって急場をしのいで、職場に戻ってこられるようにしています。
 わたし自身もこの店で働いてから結婚・子育てを経験しましたが、同僚の協力もあり、子どもの学校行事へは欠かさず参加し、学校の役員も務めました。仕事と家庭のことと、目の前のことを必死でこなす日々が続きましたが、職場と娘達の協力で、無事に子ども達を育て上げることができました。
 きちんとした制度を整えているわけではありません。少人数の職場だからこそ、お互いを思いやり助け合える雰囲気づくりが大切だと思うので、普段から従業員の家庭環境や働く上での希望を把握し、必要に応じて他の従業員に伝え、職場内で相互理解ができるよう心掛けています。

無我夢中で生きてきた経験を糧に

 私の父は、和菓子づくりに大切なのは「愛」だといいます。一つひとつのお菓子に愛を込めることが秘訣なのだそうです。私たちの作るお菓子はとてもシンプルで、基本の材料は砂糖と小麦と小豆だけです。美味しさに笑顔が広がる幸せなひとときを想い浮かべながら、丁寧に毎日手作りをしています。同じように、私はお客様や従業員、そして家族にも「愛」をもって接するようにしています。私自身、時には仕事の上で従業員には厳しいことも言うのですが、愛があればきちんと気持ちが伝わっていくものだと実感していますし、その「愛」に応えて長年にわたり店を支えてくれているみんなに感謝しています。この店で働くようになってから30年ほどの間に、私自身も結婚・出産・離婚・子育てなど、多くのことを経験しました。無我夢中で走ってきた年月を振り返りながら、よりよい店として次の世代につないでいけるように努力したいと思います。(2018年3月取材)

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