キラリと光るキラっ人さん

キラっ人さん紹介

前に進むには「ぶれない目標」と「よき理解者」が必要。私の目標は、「いいたて雪っ娘」を世の中に出すこと!

  • 渡邊 とみ子さん(かーちゃんの力・プロジェクト)
  • わたなべとみこ
  • かーちゃんの力・プロジェクト 協議会 代表 

20年ほど前に飯舘村の市町村合併を考える「村民企画会議」に主婦として参加したのが地域づくりに関わるようになったきっかけ。そのバイタリティに隠れがちな繊細さを最もよく理解しているのが、夫である福男さん。大工仕事はもちろん、運転手を引き受けたり、イベントで料理を振る舞ったりしながら活動を共にしてきた。

「ないものは作る」楽しみを夫婦で

 裕福ではない家で育ったので、子どもの頃から「ない物は作る」しかありませんでした。おやつも洋服も工夫して自分で作るのが当たり前。出身は福島市ですが、結婚を機に飯舘村の人になって、もう40年近くになります。お見合い結婚した夫は大工ですから、ないところから形を作る面白さを知っている人です。だから一緒にいると楽しいし、一緒にいろんな夢を見てきました。子どもの頃の「貧しさ」っていうのは、悪いことばかりじゃないと今になって思い出します。
 結婚してしばらくは村の縫製工場で働いていましたが、工程の一部だけではなく一通りやってみたくなって、事業を立ち上げたのが34歳のときです。夫は自宅の一角を仕事場に改装してくれました。事業では日本を代表するブランドの縫製を引き受けていたので、品質チェックも納期も本当に厳しいものでした。自分がそれに応えられるのがうれしく充実していたのですが、ともかく毎日が忙しく家族よりも事業に費やす時間の方が多いことに気づき、大切な家族のためにもっと時間を使おうと、事業の立ち上げから9年が経過したところでいったん仕事を辞めることにしました。

村の自立のために、特産品をつくろう

 ちょうどその頃、村では「市町村合併をどうするか」の話し合いが始まり、そこに私は、地域の女性として参加していました。「合併しない」方針が固まってきたときに出たのが「何か特産品を作ろう」という意見です。農業委員会のアイディアで、飯舘村出身の農業高校の先生・菅野元一さんが品種改良した「ジャガイモ」と「カボチャ」が素材に取り上げられることになりました。その「研究会」に、軽い気持ちで参加していた私が、なぜだか会長を仰せつかってしまいます。
 それからは本当に大変でした。縫製は仕事をこなせば収入になりますが、今度は作っても売れるかどうか分かりません。でも、引き受けたからにはいい加減なことはできない。「ジャガイモ」と「カボチャ」はとても美味しく、いい素材だったのでなんとか付加価値を付けたいと思いました。そこで、栽培から加工、販売までの6次産業化を目指し2007年に加工施設「までい工房美彩恋人(びさいれんと)」を作りました。人生で二度目の事業立ち上げです。初年度に村からベンチャー支援助成金が200万円出ましたが、設備投資など助成額を超える支出となり、差額を埋めるために借り入れもしました。事業のために借り入れまでしてますから、もう後には引けません。
 ジャガイモは「植物防疫法」で厳重に管理された植物で、法律に定められた検査を受けないと種芋を育てられないのです。でも、当時、会長を引き受けた私はそんなことさえ知りませんでした。「イータテベイク」と名付けられたジャガイモは、数年にわたる複雑な手続きを経て、2011年産が検査に合格すれば一般にも販売できるところまでこぎ着けました。そんな時に、あの東日本大震災が起きました。カボチャは「いいたて雪っ娘」と名付けられて、品種登録が決まる直前でした。

働き者の「かーちゃんの力」を集めて

 とは言え、先行きが不透明な避難生活。働いていないと、頭がどうにかなってしまいそうな気がしたので、県の緊急雇用事業で避難生活を送る人を支援する仕事に就きました。そんな時に、以前から交流のあった福島大学の先生に「何か避難者プロジェクトをやってみないか」と声をかけられました。この年になるとハローワークにある求人に応募して、長期的に新しい仕事に就くのは難しいだろうと思いました。でも、私には「縫製」と「6次化」二つの事業を立ち上げた経験があります。これが役に立つのであればと、お引き受けすることにしました。
 まずは、2011年10月頃から飯舘村、葛尾村、川内村、都路村、浪江町津島などで農産物加工に携わっていた女性たちに会いに行き、どのように過ごしているか、今後どうしていきたいかなどの話を聞きました。仮設住宅で「先が見えない」と泣いてばかりいる人もいましたが、もとより、働き者の『かーちゃん』が多い地域です。「誰かが引っ張ってくれるのなら、動き出せる気がする」「なにかやりたい」という声もちらほらと聞こえてきました。そこで、「餅や漬物の加工品を一緒につくってみない?」と声をかけて集まった10人ほどの仲間たちと「かーちゃんの力・プロジェクト協議会」をスタートし、その年の11月には第1回かーちゃん会議を開催しました。年末には空いていたドライブイン「あぶくま茶屋」を借り、調理器具を飯舘村の加工施設「までい工房美彩恋人(びさいれんと)」から運び込みました。

ぶれない目標の実現には支えがいる

 立ち上げから5年目に入り、プロジェクトでは農作物の加工・販売、弁当の受注生産、視察の受け入れなどをしています。現在、力を入れているのが「あぶくま食の遺産継承」です。凍み餅や凍み大根、山菜など、阿武隈地域が育んできた食文化を後世に伝える「あぶくま御膳」を販売し、若い世代にもつなげようとしています。帰村が具体的になってきている現状で、事業をこれからどのように進めていくのかは悩むところです。でも、どう動いても、私の心の拠り所は「飯舘村」。それとプロジェクトに関わってきたかーちゃんたちの自立を見届ける責任もあります。
 山あり谷ありの歳月を通して、私自身が大切だと感じたことが二つあります。一つは、「ぶれない目標を持つこと」。もう一つは「良き理解者を持つこと」です。私の目標は、「いいたて雪っ娘」を飯舘村の特産として、全国に広めていくことです。困難でも前に進むには、自分を認めてくれた上でアドバイスしてくれる理解者が絶対に必要です。一人で何でも抱え込んでしまうと必ず行き詰まってしまいます。だから、仲間たちにはとても感謝しています。それでも一番の私の理解者は夫なのです。夫は闘病中なのですが、とても明るいのです。治療中、看護師さんに「二人でいると、どうしてそんなに楽しそうなの?」と聞かれて、夫は「同じ夢を見てるからさぁ!」と応えていました。そして「夢ってなに?」の問いに、「カボチャ!」とにっこり。この人と夢を語り合う時間が、私を支えてくれているのだと思います。(2016年2月取材)

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